明朝

全、きみに告ぐ

2020年4月19日 始発電車の音を合図に

朝が来たら終えるのは人生でも睡眠でもなくZoomです。私のマイクが朝の訪れを拾った瞬間、Surfaceを閉じるときが来たと言えるでしょう。

f:id:goodbye_is:20200419230129j:image

今日は履修の修正と追加をした。落選した科目はなし。昨年度取りこぼした科目と必要な科目が間違いなく入っているかの確認をした。それで終える予定だったけれど、シラバスを見ているうちに取りたい任意取得科目が4つ見つかった。日本史学分野史、哲学演習、西洋人間論IIと、社会文化調査論。

人文専門「日本史学分野史」は元高知県議の先生に興味があって、関わってみたいから。せっかく高知にいるなら自由民権運動を授業を通して学んでみたいから。同じく人文専門「哲学演習」は担当の先生が「福島原発事故を考える」の先生でまた授業を受けてみたかったから。受講人数が少なくてゼミっぽいところが面白そうだったから。一冊の本を読んでディスカッションをする形式の他学部の授業に出てみたかったから。人文専門「西洋人間論II」は昨年落とした授業でリベンジをしたいから。授業は本当に面白かったのに内容のないレポートしか書けなかったことが悔しかったから。人文専門「社会文化調査論」はライフヒストリーインタビューの実習授業で、今の自分に最も圧倒的に必要な科目だから。

何となく、大学に来たからには自分のいる学部の授業だけではなく例えば専門領域の外にある科目を受けたいという思いは絶えずある。普段行かない棟の、知っている人が一人もいない教室で受ける授業はなんであんなにわくわくするんだろう(そりゃ非日常なんだから楽しさを覚えるに決まってる)。でもそうやって受けた任意取得科目のなかで、人生で最も糧になるような授業にも出会うことができた。一方で、科目をつめこんだ影響によって落としてしまった授業やおろそかになったレポートもあるわけで、人にかけた迷惑もたくさんある。本当にごめんなさい。関心領域が広さと大体のものに「面白そう」ととってかかれる特性は誇るべきだけれど、それだけでは続かないこともこの2年で知っている。履修登録期間と初回の授業の際に抱く学問に対する強固な思いを持ち続けられない日があることもわかる。やりたいことや関心のある科目よりもやらなければならないことや必修科目を絶対的に優先するべきなのだろう。と、頭では理解しながらもそれに抗いたい気持ちは大学で過ごす時間を重ねるごとに増えてきたように思う。まあなぁ。「いろいろな人がいていいんじゃない」という言葉に背中を押されながら、そのまま歩こうともしてしまう今日。

ハイになったりダウナーに入ったりしている日曜の夜は雨が降っている。どこにいるのか分からなくなるようなイミテーションな会話の中でも、電車の音は私の暮らす場所のはじまりと終わりを知らせる。ときどき、気持ちに驚くほど馴染む曲と出会うことがあるけれど今日のそれは羊文学の「1999」だった。この曲を教えてくれた友人とまた会いたい。