明朝

全、きみに告ぐ

2026/05/22 明滅と没落

さびしさを葬るために、血糖値をスパーク(※ここに限りスパイクではない)させる。下北沢のヴィレッジヴァンガードで買った玉紐タイプのブックカバーを、文庫本ノートにかける。自分のために書くという行為だけが、感情のすべてを受け止めてくれる。自分勝手に満たされたり、はたまた枯渇したりすることが得意。玄関のオレンジ色のひかりがスパークを助長している。眠る。

2026/05/01 前触れと通過

朝の次には夜が来ると決まっているように、平日が終わり連休が訪れる。

帰高、帰京、小沢健二、令和ロマン。5月は目を閉じて開けたら終わってしまいそう。3ヶ月に一度は東京に行く社会人生活でありたいと思っていたけれど、結局今度行くのが昨秋の京王閣ぶり。その前は5月末の日比谷野音だったから、やはり働きはじめてからは一年に1-2回しか、まだあの街を訪ねられていないのだなと思う。

東京という街を身近なものとしてそばに置いておくことが、失踪を避けるための一つの有効な方策のようなものとしてわたしのなかに存在するようになったのはいつからだろう。

山手線の駅ひとつ移動してしまえば、暮らす人も街の様相もすっかり変わってしまうようなあの街の移り気のことを、溶け込むための場所として大切に思っている。

 

@各位 明日から数日高知にいます。

2026/04/21 追想と忘却

思い出がある。あなたと、君と、彼と。

天々高々「5959」を聴くと、晩夏の京王閣に吹く風を思い出すように。分け合ったパンを思い出すように。前野健太「18の夏」を聴くと、渋谷の裏通りにある店で向かい合って食べた餃子を思い出すように。吊り革を握ってこれからどこへ行くかを話したときの湿度を思い出すように。グッナイ小形「サーカス」を聴くと、盛夏の高円寺駅前を思い出すように。もうなくなってしまったマクドナルドの明るさを思い出すように。Hideyuki Hashimoto「naoshima」を聴くと、秋のマリンライナーから見た仄赤い夕陽を思い出すように。眠気に身を任せることを許される安心を思い出すように。ガガガSP「国道二号線」を聴くと、青々とした空の下で人並みに揉まれた伊丹の最前を思い出すように。ひりひりと日焼けした鼻の頭の痛みを思い出すように。小沢健二「アルペジオ」を聴くと、霧のような小雨の降る日比谷公園を思い出すように。メリージェーンシューズの中で濡れてしまったつま先を思い出すように。

いつだって戻れなさを抱きしめており、その選択を誇らしく思っている。潔さを愛している。

2026/03/31 ささない傘と雨

「23時にふとんに入っても当分眠気が訪れそうには感じられず」と書いた30分後にはぱたりと眠りつけてしまう、そうした自分の健康さがにくくて愛しい。愛おしもうと決めて愛おしむこと。決めて、大切にすること。そうした行為。

一年のはやさに情感を馳せられるほど自分の日々を単純化はできず、しかしまっとうに実感としてはそう思うことの、矛盾した感情。

巻き取られていく。メジャーに書かれた目盛りと数字のように、誰かの情動が。反復して。

雨の音、知らないジャズ、遠くのあなた、近くのきみ、アイスコーヒーに落とすメープルシロップ、浅くなる呼吸、春風。

2026/03/30 小声と反響

隣の芝の真っ青さ。

一体今日は何時に眠りにつけるんだろう、と思う。23時にふとんに入っても当分眠気が訪れそうには感じられず、ラジオ深夜便の音だけが小さく部屋に響く。

わたしが誰かを「いいよね 君は まつげも長いしいいよね 君は すごくやってけそうだし」と羨むように、わたしも誰かにそう思われていたのだ。無敵でいられる時間はそう長くなく、かといってそのスター状態から抜け出したからといって向かい立つべき敵が現れるわけではない。敵がいない、ということの虚しさがある。敵は、自らで自らのためにつくりだすものだったのかもしれない。

わたしのことをずっと、スター状態のままこころのなかへ生かせてくれるあなたへ、桜吹雪のような幸福がありますように。

2026/03/30 朝陽とアイスコーヒー

真っ直ぐと人を愛する、その愛を表明する、ということの技術。わたしはまだ鍛錬が足りない。少しでもその人に悲しい出来事が起こってほしくないと願うような相手のことを、存在ごと尊重するように、大切に時間を過ごせるようになりたい。アイスコーヒーの表面を照らす朝陽。そのあたたかさ。やわらかさ。