明朝

全、きみに告ぐ

窓の外は雨、絨毯には毛玉

八月の3日間が起こるのかそうでないのかは、私と君と遠くの誰かの判断にかかっています。渋谷の街は何度歩いてもどれが道玄坂なのか分かりませんが、喫茶ライオンへと登っていく百軒店の坂とゲートは過ぎるたびに心がおどります。三月の5日間、九月の3日間、八月の3日間。似たような夏をループする回転灯はいつの間に灯りはじめたのでしょうか。わかりません。祝日だからとカネコアヤノを聴いていると昨年の夏を思い出してむずむずした。蟲文庫に行ったころだった。劇的な出来事はなくとも、どことなく浮ついた夏のはじまり。暑さと暖かさは似て非なるから、暖かくなりたいならクーラーをつけてアイスを食べながらふとんをかぶるのが一番です。コンビニで一番高いアイスはそれはもう美味しいけれど、108円のスイカバーもここで食べるならば充分美味しいのだと気づく。うだる暑さで溶けようともサンダルの足元は心配無用。アロハシャツにハーフパンツを履いてスイカバーをかじり、あのミュージックビデオの真似をする。ここはどこまで歩いても高知。「きみは、ぼくの東京だった」以上に好きだと思える曲が今年は現れないかもしれない。行く先々で会う人会う人に勧めたいほどに大好きな一曲だけれど、この曲の刺さり方はいくら丁寧に言葉を尽くしても、聴いてもらわない限りは伝えられないと感じる。何十回も聴いているとあるタイミングから見え方が180度変わる、面白い曲だと思う。このブログを読んでくれているあなたには、世良田波波さんの漫画「きみは、ぼくの東京だったな」を合わせて勧めたい。高円寺の街を思い浮かべるとちゃんといくつかの思い出があることがわかる。高架下、古本屋、無力無善寺、地下に沈むBAR、光、駅のデニーズ。いつか住むならこんな街がいい。いつか住むなら。すぐに覚める夢の話。それにしても左耳が痛い。どうなってもいいかもと思うくらいのそれには抗えないけれど、きっと本当はもっと人の気持ちや後先を考えて生きたほうがいいんだと思う。GoToキャンペーンする人のことを私はひとつも批判できない。所詮同じでしかない。いつも鼻先ににんじんをぶら下げあって、気づいたころには窒息している。判断の正誤を問うこともしなくなる。あり得たかもしれない未来より、いまここにある現在のほうが愛おしいと思う。正解を超えるのはとても楽しい時間だけれどそれだけでは保たないから、いつかちょうど美味しいシュークリームみたいな一日を見つけたい。雨は降り続けている。夏が過ぎるのを待つ。しげくに屋55ベーカリーはおかずパンも美味しいらしいですよ、と教えてくれた友人への連絡を返そうと思う。