明朝

全、きみに告ぐ

バシャッと蹴散らす

人との待ち合わせの大半を本屋か図書館にしてから、また本を読むようになった。悲、悲、不。

少しの力を持つようになると救う対象が変化するのはありふれたことなのに、服を着るのはいけないことでしょうか。内臓の一つまで目に焼き付けた覚えがあるなら言ってほしい。ですから、あなたの昔を聴くことに誇りを持つような私のことをたった今ここへ置いてどうかどうか曇天の向こう側まで走り抜けてください。いつも誰かのミューズでいられる才は普遍ではなく、あなただけのものです。いつだって観客はまどろみのなかにいる。

どうでもよくなって眠気にまかせて土になるみたいな日曜の午後は雨が降っています。梅雨入りが早すぎはしませんか。早く入ったなりに早く明けてくれればいいんですが、という言葉をこの蒸した初夏に何度呟くのでしょうか。落とした珠のイヤリングを一人取りゆく道に飛ぶカラスは、何を見つめているのか少しも推察できない。その目だけが知ることも多いのです。

交差点にあるマクドナルドの女子トイレは八丁堀のカプセルホテルと同じにおいがする。正確にはそのシャワールームと。清潔に保たれている場所の、塩素と石鹸をないまぜにしたような心地よいにおいを入るたびに思い出す。好きや愛してるといった直接的な言葉を使わずに伝えることが愛に対して為せる教養なのでは、と呟く人も直接的な言葉を求めるならもう、私たちのデオキシリボ核酸は仕方ありません。そこかしこで流れる尊大で不遜なビープ音は何を知らせていますか。

脛に前足を乗せてくつろぐ子は愛しさを肉と臓と毛にしてかためて三角の耳を生やしたような、そういった恋しい存在です。覚えていてね、は忘れていいよ、と同義。公園のベンチに座り話す男女はこれからどこへ行くのでしょうか。十数メートル先にもどちらでもなく手を引き合う二人組がいます。街は依然明るさを保ち、しかし今夜は冷えるそうです。

ドトールコーヒーのジャーマンドッグを齧り終えアイスティーを最後まですすると、もうこのまま眠っても構いませんかという気持ちになる。小さなかばんの中に入れた文庫本は中々読み終えられません。読むスピードより買うスピードが速い、という言葉も今世で一体何度呟くのだろうか。なんでもなんでもない。こんな図書館がうちの街にもあればいいのに、と言いかけるのはないものねだりの一つかもしれません。あるものに気づけない。10個400円のたこ焼きを越える幸せがあるでしょうか。