明朝

全、きみに告ぐ

正しさを求めて

書けないことも書きたかったことも、それでもまだ書きたいこともあるような気がする。

カネコアヤノとグッナイ小形ばかり聴いていた十数日間を超え、何かを取り戻しながら、久しぶりにかける眼鏡のフレームを愛おしく、同時に疎ましく思っている。帰る前日「何か収穫あった?」と聞かれ真面目そうな顔を作りながら格式ばって答え、それでも頭の片面では当の期間を反芻し罪悪感や後悔や反省に満ちたりしていた。重大ではないことを重大に捉えてしまう時期があって、成人してもまだそこから抜け出すことができていないのだなと思う。21歳になってもこんなことばかりしているんだろうか、と思う。それでもいいよ、と誰かに言われている。大人になりたい、なんて言ってられるような年齢ではもうない。ここは幸福なことを幸福なままに書くような場所でもなく公に書けるような時期でもなく、それでも書くことができて書きたいと思える内容はどこにあるだろうか。ひとつ挙げるなら、いつか「倫理観なんてなければないほどいいよね」と言う私に君が強く同意してくれた瞬間のあのやり取りは結構、よかったです。教科書やテキストで用いる倫理観という言葉とは少し切り離して捉えてくださいというエクスキューズなしには多方から怒られそうな鉤括弧。でもこのやり取りは、この瞬間は満たされる何かがあったと思う。夏、クーラー、白いフロント、不織布のスリッパ、赤いソファ。もはや朝、みたいな夜。蜂の巣のような箱から出て、番人の気配しかしない、広くもない場所で交わした電話はなぜだろうね、救われるものがあった。言い過ぎかなぁ。こうして書いていても、もう少しガウス薄めに書けないものかと自分に対して思います。どうか(許してください)。誰とは言わないけれど、気を抜けば「お元気ですか」と連絡をしてしまいそうになります。そのときはそっと止めてください。両手の指では足りないくらいの、それも日常の暮らしではまず出会う機会を得られない方々からお話を伺ったりお世話になったりした十数日間は、当たり前に一日一日を記事にしたいくらいの内容量だった。振る舞いへの後悔はあれど、行動への後悔はごくわずかです。行ってよかった。いい街だったと記憶に残すことができるような時間をくれたあなたに、心から感謝しています。どこまでどう書くことが許可されるかは分からないけれど、ここに残すことができるように書き続けたいし、近くそのうちぽつりぽつりと。

発達と北上を続けるハイシェンの猛威は計り知れず。被害がどうか多くに及ばないことを祈って、眠るでもなく書き留めます。

 

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