明朝

全、きみに告ぐ

日記と、『天気の子』を観た話

新しいオレンジのにおいの隙間に少しだけジャックダニエルの甘いにおいがしたような気がする。マッチ箱は久しぶりに擦られる日までに頭薬を擦り切らしていて火をつけることはできず、関係性の彼岸は近かったことがよくわかる。一人で涅槃に行くのは好きにしてもらってかまわないけれど、残された側のことも考えてくれよと思ってしまうのは10:0の傲慢でしょうか。関係性の彼岸を見せられるたびに寂しさとも虚しさとも言い難い感情になってしまい、それでも結局戻ってくるんでしょうと思ってしまうのは7:3のハイボールでしょうか。思えばいつかから始まり社会学神聖かまってちゃんや東京や京都やフォークソング新海誠について交わした会話も5:5の炭酸の中に消えていくのだとするとやはりそれは新しくも甘くもないのだと感じます。私があなたの友人と話すことがあなたにとって嫌であったり拒否したいことであったりするのなら、事前にそう伝えてもらえると助かるなぁと少しだけ思う。好きなものは好きだし、話したい人とは話したいし、さらに言ってしまえば人間のことだいたい全員薄っすらと好きだと自信をもって言えるからこそ、私にとってもそのコミュニケーションの姿勢は変えがたかったりする。ラストダンスはまだ予約できますか。文通も交換日記も3日として続けることができないことを申し訳なく思いながら、やはり私はブログに意味無意味な文章をただ書き続けるくらいがちょうどいいのかもしれないと思う。先日人へ手紙を書く機会があった。最近は年賀状あるいは直接渡せる距離感の人くらいにしか手紙を書く機会もない。今回は初めて記す郵便区番号にドキドキしながら文字をしたためた。数日後、私の自宅ポストに返事が届くまでの期間は短かった。届いてからすぐにお返事を書いてくれた様子を思い浮かべると嬉しさがこみあげるようだった。ただ、そのお返事はまだ書くことができていない。会話における等間隔・等分量を保つことは本当に難しい。

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映画『天気の子』を観た。ありがたいことに、スクリーンであり劇場でないというスーパーレアな環境での視聴の機会をいただいた。

この環境下で映画館へと繰り出す勇気もお金もない苦学生には本当にありがたいお声でした。心から感謝しています。

この映画に関しては8回観たという友人からの感想や、あるいはお世話になっている方による批評文などを読んでいてある一定の印象は抱いていたけれども、想像以上にそれらを悠々と越えてくる2時間だった。東京という街の描き込み。歌舞伎町一番街のアーチ、東宝ビル、バスタ新宿、渋谷スクランブル交差点、田端駅、六本木ヒルズ、品川駅のディスプレイ、電気街口、雷門、春日通り、三鷹行きの総武線新型コロナウイルス感染症の影響によって東京へ行きたくても行くことができない今だからこそ、駆られるものがあった。そしてそれらが写真や映像という生にごく近い質感によるものではなく、アニメーションによって描かれている点が偶像としての東京らしさを強めていたように思う。見終わって二晩を経てもまだ『天気の子』に与えられたエモーションを引きずりつつあるけれど、今は、この映画で描かれているのが東京でよかったと感じる。東京に思い入れを持つ人は少なくないと思う一方で、私はそれが必ずしも思い入れの一番ではなかった。東京以上に、アニメーションで描き込まれるとしんどさに駆られる可能性のある場所がいくつもある。8回観た友人の話を聞くと『天気の子』による東京の描き込みは、東京への「しんどさ」を呼ぶよりはある人にとっては「救い」になるものであったのだろうかと感じる。東京出身や在住経験のある人による『天気の子』評を聞いてみたい。アニメーションによって詳細に街の様相を見せつけられることにはどうしたって心が揺れてしまう。それが行きたくても行けないこのタイミングであったことと重なり、ストーリーや物語の構成以上に街の描き方に目を奪われてしまった。「2回目のほうが面白い」とも聞く。次こそは街の描き込みに目を奪われず、物語に目をむけてこの映画を観たい。何回観たって東京はこえーからな。