明朝

全、きみに告ぐ

「エドワード・ヤンの恋愛時代」(2023年9月8日、京都シネマにて)

エドワード・ヤン。影の使い方が美しかった。

表情が見えないことの意味をこんなにも映像で実感したのははじめてかもしれない。光や陽のもとにさらされる、人に見せるための行動。夜の闇に紛れる、自分のための言葉。

急成長の発展が生むすれ違いや衝突の必然性。削がれる人間らしさにとても納得できた気がする。愛嬌を撒くことも、適当を演じる道化であることも、どちらも社会に対する自衛のように見えて切なかった。感情を全面にはぶつけがたい関係性の連鎖。ビルの窓から見える摩天楼。

ワンシーンだけ出てくる黄色いタクシーの運転手がつぶやく「生きてりゃそれでいい」。

エレベーターの中でチチが強く言葉を吐かれるシーンに一番震えた。言葉を発する主体の表情や仕草が秘匿されることで、その言葉を投げられた側の感情がより鮮烈に映し出される。そういえばラストシーンもエレベーターだって見終わってロビーで振り返ってるときにいまさら気づいた。

モーリーの人をときに傷つけるほどの気高い強さ。むかし友人から聞いた、母権制のもとで暮らす台湾先住民族の話を思い出した。

原題は「獨立時代」(独立時代)、英題が「A Confucian Confusion」のなかで、邦題が監督名まで入った「エドワード・ヤンの恋愛時代」なのは、良い題だとは思いつつも恋愛で括るんだなぁと。

(Filmarksより)

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