明朝

全、きみに告ぐ

2022/10/21 3:14

買う。食べる。空をゴミ袋に捨てる。皿を洗う。適当に水出ししたお茶を飲む。眠れない。昼間にあれだけ眠ればそれは眠れないだろうとも思う。明日、来週、来月、来年、どれもにある不安を喉に押し込める。すべての音楽や光や布やラジオが自らを肯定するために存在しているように思えるようなときがあるように、そのすべてが自らを否定するために存在しているように思えるときがある。惨めだと思う。食べ、眠り、少しだけ歩き、働き、話す、そうした生活しかできない。学ぶことや書くことが怖い。自分の甘えや無知や不勉強や、それを乗り越えようとするだけの胆力のなさを自覚することが怖い。だから、食べ、眠り、少しだけ歩き、働き、話す、そうしたことばかりしている。毎日が怖い。生きることや人生に存分に含まれている希望へ、目を向けられなくなっている自分と向き合うことが最も怖い。そうした自分の立て直し方を知らないままこの歳まで来たという事実が恐ろしい。向き合うことができない、という感情と向き合うための言葉。

 

無意味にコンビニやドラッグストア、マクドナルドに行くことが増えた。4ヶ月続けていた家計簿をやめてしまってから、3ヶ月が経った。枕カバーとシーツを洗う頻度は増えた。ラジオ体操は2ヶ月でやめた。電子レンジが壊れて5ヶ月、麺をよく食べるようになった。部屋の中には物が増え始めた。壁、正確にはクローゼットの扉には「はだかのゆめ」のフライヤーと、ミナペルホネンのポストカード「life puzzle」と、六本木のフエギアで試香させてもらったときのパンフレットが貼ってある。取手にはイソップの巾着をぶら下げている。見て気持ちが落ち着くものなら壁に貼ってもいいことにして、2ヶ月が経った。冷蔵庫には夜と昼や変質者、喫茶ライオン、エジンバラ、エレファントファクトリーコーヒー、イノダコーヒ、King of kingsのショップカードが貼ってある。入居したばかりの頃に、こんな部屋を目指したいと貼った夜と昼の一枚から、冷蔵庫扉のカードたちは無造作に段々と増えていった。傘は折り畳み傘1本に加えて黒く大きな傘が1本増え、それがなくなり、緑の傘と水色の傘がいまは玄関に2本並んで置いてある。お皿や調理器具も少しは増えた。いまは食糧庫と調味料の整理に悩んでいる。いつからか混沌とし始めたクローゼットの片付けにも手をつけたい。ベランダのハーブを再生したい。防犯ブザーが欲しい。毎日もう少し緑黄色野菜を食べたい。白米を食べる生活を取り戻したい。冬には鍋がしたい。来客へおいしい緑茶を振る舞いたい。生活しかできない。

2022/10/15 3:56

ああ、と思う。誰にだって言えなければ言いたくもなれない色々に。希望も絶望も正常に異常に。黒い服と黒いマスクと黒い縁の眼鏡を纏って喋り続けていた今晩のあの人は一体誰ですか?誰でもない、けれどそんなはずはない誰かとの帰り道は寂しい。いつも煌々としたあのうどん屋と、その隣にあるスナックが賑やかなことに気づく余裕。寂しさと呼べる隙間の所在。

誰にも誠実になれない。自分を守る盾が他者へ振りかざす鈍器になってはいけないと、そう思って生きてきたはずだった。実現できない。白湯を飲んでも何も解決しない。文章を書いているときに流れる涙は、いかに誰にも、誰とも何も話していないかを知らしめる。傷つけるように人へ人をする。やめられない。やめないとも思う。わからない。灯。

眠れなさは肌寒さだったのだと、もこもこカーディガンを買い求めてから気がつく。羽織るだけで眠気が訪れた。そばにいるだけで眠気が訪れること、そうした人との時間。それが愛だと聞いている。

働く君が教えてくれた発酵バターケーキタルトを買いに夜道を走らせる。150円で510kcalを実現するために考えつく限り唯一の方法。胃で尾を引くようにへばりつく乳酪。ほろほろと。大森靖子も好きなスパイシーチキンと、フェア中らしい焼き芋フラッペ。いつかラインソックスをおそろいで履こうね。誰かとの約束ばかりが増えていく。果たせないことや果たさないことでもって生まれる関係性の輪郭。その光。ねえ、柴田聡子の「雑感」聴いた?

あいちトリエンナーレ2019の円頓寺商店街でみた、交通事故死の被害者と加害者をテーマにつくられた作品のことをそのたびに思い出す。車を自分が運転できるなんて到底思えない。自分が誰かの車に乗せてもらうとき、雨の日に市バスを利用してバイト先へ行くとき、東京行きや帰省のために夜行バスへ乗るとき、いつも死の覚悟をしている。大きく、硬く、速い。到底思えない。

2021/12/15 京都

朝7時ごろ到着。宿へ荷物を預けに行く。

9月に来た際、通りかかって気になっていたcoffee shop川本へ。モーニングを食べる。本棚のラインナップがナショジオ日本版(2009-2021)、野草図鑑、堕落部屋、釣りバカ日誌と幅広い喫茶店。「今日はあれや、年金の日や」「ほんまや、あれやな、今日はどんちゃん騒ぎかね」。カウンターで3人並んで煙草を吸うおじさんの背中。

歩いているだけでお香のにおいがする町。

 

二条でレンタサイクルを借りる。物件探しの参考に西大路通をいろいろと回ってみる。走行距離16キロ。ユニットバスだと高くて4万円、セパレートだと5万円、独立洗面台だと6万円代だという話を聞く。 他にも、二条の映画館へ行くときは自転車を近くのスーパーに置くなどして駐輪代回避するとよいとか。

昼食に学食でカレーラーメンを食べる。

京都に来る前日に先生から教えてもらった不動産屋を見つけ、ふらっと入る。

 

ツラッティ千本こと、京都市人権資料展示施設へ。展示の中で見た一文が残っている。博物館などの古地図でときおり見受けられる、紙を貼るなどして"穢多村"や"非人小屋"の表記を隠す「人権上の配慮」。けれども「『隠されて見えない』その場所で、人々は懸命に生きてきました。名前を持った村が存在」していた。隠したり削ることではなく、表記を通してでも人間の営みを感じとる力・読み取る力をつけるべきだという展示キャプション。

また来たい場所。

 

自転車で通りかかった金閣寺へ、修学旅行生の波につられて拝観。5人1組くらいで学生を束ねるガイドさんに便乗し、側でこっそり解説を聞く。「今日はねえ、コンディションがえいですよ。なんでか分かりますか?池に金閣寺が移っているでしょう。これはなかなか見られませんよ。今日はラッキーですねえ。」

花園駅からdddギャラリーへ向かう。道中で、真っ白な柴犬を連れたおばあさんに会う。柴犬はしろこちゃんというらしい。 大分の別府が出身だという話や、しろこちゃんは奈良のお寺で捨てられていたという話、掌に乗るくらい小さい時から育てているのだと聞かせてもらう。警察犬の研修へ連れて行っていたから、名前を呼んだら尻尾を振るのだと。「賢いでしょう」。10分ほど立ち話をし、「お気をつけて」と別れる。

 

京都dddギャラリーへ。石岡瑛子展。空間のつくり方が面白かった。ここまで、入り口に入った瞬間から没入へ誘われる展示空間は最近あまり見たことがなかった。

宿へチェックインする。二条へ自転車を返却しにいく。寒すぎて道中、手袋を買う。

 

出町座へ。バスを乗り間違えて北大路バスターミナルへ行ってしまう。バスの乗り間違えはなぜこんなにも悲しいんだろう。

無事上映時間までに着く。「君は永遠にそいつらより若い」 観る。観客は5人くらい。

 

宿へ帰って眠る。

 

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2021/11/13 日報

カーネーションヒペリカム

ジャーマンドッグとアイスコーヒー

M-1グランプリ3回戦とチョコナナやDCG

漫画『水は海に向かって流れる』

1巻と2巻途中まで読む

レヴィ=ストロース『野生の思考』とマルセル・モース『贈与論』読みたくなる

ダーツとビリヤード

たぶん人生初

家帰って鶏出汁白菜うどん作って食べる

夜のうちに眠る方法[検索]

毎年恒例ということにして整理してしまいたい、冬ムーブが到来しつつある。理由が諦めであっても失念であっても、機会を逃すことそのものがさらに冬ムーブを引き起こす原因になっているということに薄々気付く。WRAPのお道具箱(なんてかわいい呼称なんだろう)を開いてもどれもやる気が起きず、働きある方法の模索が求められている。書き口がレポート。

5時より前に眠る方法を忘れてしまっても、深夜ラジオがあるからその時間やあるいはその時間に起きている自分のことを少しだけ許してしまう。その回数を週1、2回に抑えられたらいいのだけれどと思いながら、今日もまたオールナイトニッポンを0までつけながら眠る。

部屋のカーテンを替えたいと思いながら、10年が過ぎた。卵のような色で部屋を照らす間接照明は、ここにその腰を下ろしてから10年目でやっと活躍している。10年目で気づく、部屋の新たな表情もある。

ベッドに預けた身体は筋肉が弛緩しきっていて、今日も明日も明後日もどこへだって行く気がないんじゃないかとすら思う。時が来たらどこへだって行くのだけれど。洗濯を回して、終わるのを待って干して、気化熱で少しだけ下がった部屋の温度を楽しむほかない。