明朝

全、きみに告ぐ

果てがないこと

ときどき、自分の制御がきかないほどにある一つにとらわれることがある。

その瞬間に見えているのは目の前のこととその周辺で、外部から入ってきた情報を処理し理解する経路には一枚のベールがかかっているような感覚になる。

果てがない、と思いながらも体は一つの信号にしたがってそのままに動き、それを認識する部位のみが働かない。

そしてそれは深夜2時ごろから明け方にかけてよくやってくる。

 

そういえば「寛解はあり得てもそれは完治ではない」とよく言われていた。

 

明るい部屋のことを考えて、心拍数を落ち着かせる。

人はみな胸に思い出を持っている。ところで言葉の上では  思い出を抱いて  という表現をしばしば目にするが、私は「思い出を持つ」という表現に惹かれる。毎日使うかばんのように、本棚から手に取った一冊の本のように、その手に思い出を持っている。

 

毅然と、優しさを持って、心からの言葉で伝えられる人に、

 

自分が「こうなりたい」と思っている理想像と今現在との間にある乖離に耐えられそうになくなり、やがて絶えそうになる。

救えたかもしれない未来を考えるのは傲慢だろうか。

あり得たかもしれない未来は明け方の散歩道に落ちていた。

 

昼間は白い部屋に行けばいい。夜も終電までは。

深くなった夜と、明けるまでの朝の過ごし方を知らない。